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2010年4月

2010/04/26

闇の中

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/4178/itami02.htm




第27部】宮本邸電話盗聴事件

宮本邸電話盗聴は創価学会攻撃の急先鋒である日本共産党対策の一環として行われた。始めは日本共産党本部を盗聴する予定であったが日本共産党の本部は警戒が強く盗聴不可能と判断し、急遽、宮本邸へ変更された。

池田大作の承認のもと、当時ナンバー2であった北條浩副会長の決済で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして造った裏資金(一千万円余り)の提供を受け、山崎正友が学生部幹部数名ほど(中心者は広野照夫と竹岡誠治だった。二人とも現在は創価学会大幹部である。

竹岡誠治はNTTドコモ事件をも起こしたことで有名である。竹岡誠治が宮本邸の前の電柱に上り、盗聴器を仕掛け、また新しい盗聴器に交換することも彼が行い、盗聴器を取り外すことも彼が行った。
彼はそのため創価学会に於いては非常に重用された)を動員して行った。

昭和45年5月から約3ヶ月間にわたって行われたこの作戦では2,3の重要な会話の盗聴に成功したものの第二の盗聴器の不調によって発覚し、共産党は東京地検に告訴した。共産党は公安の仕業と考えていた。山崎正友の内部告発がなかったら事件は迷宮入りしていた。

盗聴のアジトは学生アパートであった。新しい盗聴器に交換することを行わなかったなら、この電話盗聴は相手に気付かれることなく完全犯罪となっていた。
新しい盗聴器の動作不良で相手に気付かれたのである。盗聴器を作成したのは学生部班長で松本篤であった。
始めの盗聴器が良好に作動していたのに雑音を異常に気にし、新しい盗聴器に交換するというミスを犯す素人の盗聴軍団であった。

山崎正友が雑音を異常に気にし、それを広野照夫も異常に気にし始め、盗聴器作りができる松本篤に盗聴器をもうひとつ造らせ、竹岡誠治を再び電柱に上らせて取り替え作業を行うという誤った判断をしてしまった。


この刑事告訴は犯人不明のまま迷宮入りとなったが55年8月、山崎正友弁護士の内部告発手記を契機に共産党は北條浩氏らを相手取り損害賠償請求を起こし事件は最高裁まで持ち込まれた。
  

結果は、共産党側の完全勝利に終わり昭和60年4月、東京地検裁判所は北條浩の遺族へ百万円の損害賠償、山崎正友、広野照夫、竹岡誠治には各百万円の支払いを命じた。創価学会側の被告は最高裁判所に上告したが途中で上告を取り下げ損害賠償を一方的に支払った。内部告発手記を発表した山崎正友は宮本氏側から損害金の支払いを免除された。

 

以後、創価学会(池田大作)はこの盗聴事件に味を占め、盗聴・電話盗聴・監視・尾行を頻用するようになる。また、スパイの送り込みなどあらゆることを行うようになった。

こうした活動は次第にエスカレートし、創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査(スキャンダルや人間関係)を行い、いざというときに備えるようになった。

創価学会内部改革派憂創同盟




「敵の敵は味方。」

創価が公安の手先になっている理由のひとつである。

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