フォト

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

2012/07/22

18. (最後に)

18. (最後に)

稲葉氏は「恥さらし」の中で渡辺司の死について言及している。「道警の暗部を握っていたため、組織に殺された」と言う人もいるようですが、拘置所や警察の人間が被疑者を殺すことはさすがに考えられません

私もそう思う。「拘置所職員や警察官が直接手を下すわけがない。それこそ考えられない話である。」やるとしたら別の筋からもっと巧妙にやるだろう。しかしこれ以上の話は前に書いたとおりの可能性の問題であり単なる憶測想像でしかない。

しかし私の頭の中では「真昼間からシャブ中でブッ飛んだ目をし、婦人警官と銃対課の女性刑事を愛人にした道警の現役警部が北2条西7丁目にそびえ立つ巨大な北海道警察本部に堂々と出入りしている」光景よりも、「密室で抵抗できない状態の渡辺司が下請けのヤクザ者に口の中に靴下を詰め込まれ二人がかりで首を締めあげられている」光景のほうが私には十分に考えられることである。

渡辺司の仮名の名前が「」になっていたのには苦笑したが、アドバイザー?もいろいろ考えるものである。

私が「あえて」稲葉事件を取りあげ拙文ながら要点部分を皆さんに紹介しているのは、皮肉にもまさに稲葉氏本人がいうところの『国家権力を担う警察の人間が、さすがに考えられない』ことを組織的に行った最もわかりやすいケースだからである。

公安が国家権力を最大限利用し犯罪や悪質な人権蹂躙も行う秘密機関であるという指摘を信じる人はほとんどいない。

公安警察の広報担当ジャーナリスト達も「公安警察の教科書」は書くのだが、たとえば週刊誌のように批判的、否定的な立場で切り込むことは絶対にないのである。

公安に関しては世の中のしくみとしてとしてこうなっている(アンタッチャブル)のか ? ほとんどの情報が開示されず裏で何をやっているかわからない秘密機関なのにすべてが適切正しい事をやっているようである。そしてそのことを真剣に指摘するジャーナリストもまた皆無である。

公安(公安警察や公安調査庁)が被害者に「・・・・な危険人物」のレッテルを貼り、協力させるのに都合のいいもっともらしい理由をつけて「協力者」に「偶然を装った」ストーカー行為をさせているなどとは誰も信じないだろう。

もちろん、公安が私に対してのようなことだけをやっているわけではない。しかし、協力者に組織的なストーカー行為をさせているのも厳然とした事実である。

私自身も「まさか公安がの思いで協力者達の晒し者になりながら今まで生きてきたのである。

「警察組織」を信じて疑わない人々は、「警察が正義を実現する執行機関」という漠然とした先入観を持ち、警察を頭から信じ込んでいる。

直接に私の告発と関連があるわけでもないが、「稲葉事件」をヒントにして公安警察や公安調査庁の強大な公的権力を利用した、組織としての犯罪性や私達の知り得ないの顔」をもっと知るべきであり、固定観念を排除してその可能性を今一度考えてみるべきである。

悪魔には悪魔がいないと思わせる知恵がある』 

                                         「北海道警察の冷たい夏」より

2012/07/20

17. ( 闇に葬る )

17. ( 闇に葬る )

曽我部氏は結局「稲葉事件」をどうとらえていたのだろうか。ひとことで表現するのは難しいのだが、「凄まじい腐臭のする警察の組織犯罪」が最も的確な表現なのかもしれない。

後に表面化したことや当事者たちの証言、告白だけではすべてが解明されたとは言い難く複雑かつ異様不気味な闇が背後に広がっている。

既に書いた事と重複するのだが稲葉事件が結局は何だったのか考えるうえで重要なことなので再確認すると。

著者はいくつかの犯罪の密接な結び付きを指摘している。ひとつは警察権力による犯罪、ひとつは暴力団による犯罪、さらに外国犯罪組織による犯罪、そして、おまけ的事件としてあったのが稲葉警部個人による犯罪だ。

また「稲葉個人の事件」と見てしまうと、背後にある巨大な犯罪構造隠蔽行為を見失ってしまうとも述べている。

稲葉事件が象徴していたのは、拳銃を挙げるために全国の警察組織がより重大な犯罪に対し目こぼしをしていたという恐るべき不作為だった。拳銃の押収実績をあげるためならば覚醒剤取引を見逃し、あるいはその違法捜査に協力した者たちに盗難車などの密輸出を特権的に与えていた。

最後に警察組織そのものが事件の全体像を解明されることを恐れ隠蔽へと向かった事が最大の問題であり、権力犯罪の構図あまりにも巨大であると結んでいる。

「警察という巨大な権力組織」がその目に見えない権力を背景にして何をどこまでできるのか。「死に至らせられた」方川氏や「変死」した渡辺氏のように一般の市民が想像すらできない決して表に出ることがない「警察組織の醜悪な裏の顔」があることを「稲葉事件」がわかりやすく示して見せてくれたのである。

稲葉と犯罪者集団が道警幹部たちから庇護されていた背景には道警だけではなく、他府県の警察本部や警察までが関わっていた可能性を拭い切れない。

道警本部が単独で稲葉の不正を容認していただけにとどまらず、全国的に稲葉や稲葉と同じような役割を担っていた者たちが複数いたのではないか、また彼らは国家的に仕組まれた不正を遂行するために、拳銃や覚醒剤の密輸入をしていたのではないのか、という恐ろしい想像が湧く。

著者のこの指摘は非常に興味深い。

「著者が本の中で指摘している警察組織にとっての致命的な巨悪」を矮小化あるいは隠蔽するために、当時の警察機関が「裏金問題」を発覚させ、メディアを巻き込んで国民の注目を逸らしたのならば私のなかでは辻褄が合い理解のできることである。

著者は稲葉事件当時は「想像」と控えめに表現しているが、2007年「白の真実」では日本を世界一の覚醒剤消費国にしているのは警察組織!とまで断言している。象徴的に述べている「国家的に仕組まれた不正」とはこのことと関係があるのかも知れない。

五〇号事件は稲葉氏の本の中でも潜入捜査についての詳細が語られているが、広域捜査のきっかけである800ものブラジル製拳銃ロッシーがまとめて一度に国内に密輸入されたこと自体にわかには信じがたい話である。何かがあるのではと考えてしまう。

最終的に警庁が捜査を警庁に委ねたのだが、当時のS石上(元暴力団幹部)の話ではロッシーの保管に警視庁が運用していたSが絡んでいたという。そのためになぜか道警と千葉県警は合同捜査からはずされ警視庁が単独で捜査する事になる。

この時の石上は道警からも稲葉氏からも信頼されていたので「警運用S絡みの話」は信憑性が高い。

そのことと関係があるのか800丁のうち700丁以上の拳銃ほとんどの行方は現在に至るまで「うやむや」のままである。

この構図、後の「道警と稲葉とS」の組織犯罪と同じ構図ではないのか。

道警でSを運用する遥か以前から公安部の本店である警視庁が捜査協力者を運用していたことが推察できるのだが、稲葉と同じような役割を担った警庁の警察官がSを介して大量の拳銃を保管し管理していたのではないか。ワキの甘い道警と違い公安部の砦でもある警庁だから絶対に表面化しないのではないか。

とても警察とは思えない「なんでもあり」の「稲葉事件」で明らかになった警察と暴力団の談合関係を考えれば、単に表面化してないだけの「ヤバイ事」がほかにもあるのではないか。

北海道警察本部事件」がたまたま海面に現れた氷山の一角にすらすぎない可能性を考えてしまう。

そして私が思うに実はもっと深刻な問題なのだが、「稲葉事件」では権力を監視するはずのメディアが意図的に正常に機能させず、権力機関に都合のいいように世論を誘導していた事実が見え隠れするのである。この事件を命懸けで追っていた著者がその事実に気付き、たまたま書き記しているが警察権力が組織として致命傷を負いかねない場合、マスコミが報じていることは情報が操作されていたりフィルターがかけられていたり、まったく隠蔽されている可能性すらあるということである。

ジャーナリストやマスコミが企業としてのメディアに配慮したり、都合の悪い「事実」や「可能性」を検証しなかったり、何らかの報復」や「不利益」を恐れて徹底追及せずに見てみないふりをし、へ理屈言ってタブーに挑まないのなら日本のジャーナリズムは瀕死の状態である。何のためにジャーナリストや評論家は存在するのか。テレビで出演料を稼ぎ、名前と顔を売って著作本の売り上げを伸ばし講演料を稼ぐためではないと信じたいが。

『「枝葉末梢の不祥事」に熱弁をふるっているいかにも良識人のふりをしたジャーナリスト、評論家は疑ってかかれ。』  今年の私の座右の銘?である。

2012/07/19

16. ( 真相 )

16. ( 真相  )

 

恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白」帯には覚醒剤130キロ、大麻2トン、拳銃100丁とある。

9年の刑期を終えた稲葉氏が2011106日初版の本を出版したのだが広い意味での警察を守るために活動している「裏金問題の大御所」が関わっているこの本に関しては、何か意図があるのではと考えてしまう。

私は稲葉事件を追及するために書いているわけではなく私が稲葉事件を取り上げた理由は(最後に)書いたとうりである。

この本についても取り上げるつもりはなかったのだが気になる点があったのでとりあげてみた。

 

事件の当事者の本人が書いた本だからすべての真実が書いてあるとは限らない。稲葉氏に限らず人間は弱い生き物で素っ裸になることはなかなか難しい。だれでもそうなのだが、心の中の恥部まですべてさらけ出すことはできないしその必要もないはずである。

表沙汰になっていない誰も知らないマスコミも気づいていない過去の不正や犯罪をあえて語るバカはいないはずだ。暴露してもも差し障りのない範囲のことしか語れないということである。

 

1997年当時の薬物対策課に勤務経験のある警察官はすでに稲葉の覚醒剤使用を疑っている。

覚醒剤捜査のプロだから「体にシャブが入っている奴はすぐわかる」という。

1999年稲葉の腕には、注射500円玉ぐらいの大きさで紫色になっていたという別の警察官の証言もあった。

 

 

 

本当に都合の悪い部分はさらりと流しあるいは触れず、道警の幹部たちに利用されたことをまわりでも強調しているが同情を買ってきれいごとでまとめあげているように見える。「本人による稲葉事件の最終的な辻褄合わせの言訳本というのが私の印象である。」

正直いって、「暴力団対策の最前線にいた刑事の話」としてはおもしろかった。

もし稲葉事件がなかったならば単純におもしろく読んだかもしれない。

 

付き合いのあった「暴力団組長や組員」に気を使って「暴力団」ではなく皆「ヤクザ」となっていたのが印象的であった。本の内容も「告白」というより「言い訳」のように私には感じられたのだが。

歴史に残る迷惑をかけた警察組織を将来的に守るために最後の御奉公をしているかもしれない。

「よりよく明るく」なろうとしている警察組織にこれ以上迷惑をかけるはずもなく、道警の幹部達による犯罪のほとんど知られている事、あるいは新事実であっても警察庁が既に把握している想定内の話しか書けないはずである。

 

 

原田氏が元上司としてかつての部下稲葉氏のそばに寄り添ってアドバイスをしているようなのだが。

元銃器対策課OBの話原田さんが稲葉事件をきっかけとして裏金のこと暴露したことになってるけど、仲人したくらいで稲葉のやってたことを知ってるわけがない。部長と警部補が事件のことで顔をあわせて話すことなんてないんだから。せいぜい課長くらいがサッと報告してる程度だ 

ではいったい原田氏が裏金を暴露した本当の目的は何だったのだろう。あるいは何か別の役割があったのだろうか。

 

『銃対課にいた頃、一番多いときでアジトの保管庫に拳銃は100ほどありましたが、このときは銃対課を離れて大部分を処分していたので、PSMだけになっていました。』

                            「恥さらし」

 

現役警官からの逆タレこみを曽我部氏が裏取りをしている。稲葉氏が他人名義で借りていたマンションの張込みをして1週間目の夜に6の高級外車が集まり、総勢12の暴力団風の男たちがマンションに出入りしている。

1時間後に出てきたときにはそれぞれ両手に2袋ずつ、全部で24袋をそれぞれのトランクに4袋ずつ積み込んでいる。

警察官の情報は正しかった。このマンションに何かを集積しておいて、今日6台の車に分散して積み出したのだ。稲葉が逮捕された710日から23日までの間に、中央区の藻岩山山麓の稲葉の自宅となっていたマンションから移動した「」がこのマンションに集積されている、という情報は正しかった。

万が一に備えて4台のメルセデスと2台のワゴン車のナンバーは全て偽造である。それほど危険な」を運び出したということである。

 

後日この話を裏付けるように元銃器対策課のOBによる「小樽より積丹方面。海に向かう国道沿いにある民家の裏山。民家と裏山の間に細い川」のキーワードをもとに、偶然にも稲葉名義で登記されていた所有地で重金属探知機を使い埋められている場所を特定できたのだが、先を越されて掘り返されている。

著者はすでに現地に向かう際にNシステムやパトカーにより道警の監視下にあったと書いている。見つけられては「こまる物」を捜す途中で、尾行のパトカーにスピード違反で捕まっている。

8km超過でスピード違反で捕まるのも珍しい事なのではないか、私は聞いたことがないのだが。北海道の幹線道路では「車の流れ」があるなかで、この程度で捕まえていたらほとんどすべての車が違反になり捕まえなければならない。

警察の牽制なのだろうが、「よけいなことはするな」という警告であろう。

 

私は曽我部氏の考えをすべて全面的に支持をしているわけではないが、アジトの拳銃の件に関しては稲葉氏の告白よりも信用できるのではないか。というより「白の真実」に書かれていることが事実であると考えている。だとすれば当時100丁以上の拳銃が暴力団の手に渡ってしまったのではないのか。

もし大量の拳銃が暴力団に渡ってしまったならばそのことだけでも重大な事なのだが道警側は稲葉のアジトにあっては「こまる物」を、稲葉事件がさらに拡大することになる証拠を家宅捜索の前暴力団を介して消し去ってしまったのである。

 

 

 

警察庁登録五〇号事件」

通称「五〇号事件」とは1996年から98年の2年間に及ぶ拳銃摘発のための警庁を中心にして千葉県警、警庁、北海道警による合同の広域捜査のことである。

96年千葉県の暴力団組織が800のブラジル製拳銃ロッシーを南アメリカからのルートで国内に密輸入した事実を警庁が察知したことに端を発している。

拳銃の出どころを調べ大量の銃の保管場所を突き止めるのがこの時の捜査の目的である。

警察組織の自作自演も全くないとは言い切れないのでこの話の発端自体がどこまで事実かも怪しいのだが。

道警からは稲葉氏と元暴力団幹部でSである石上の二人が暴力団と取引する囮として参加している。

 

 

 

不正を告発する側と不正に手を染めている側とがそれぞれの立場で主張が食い違うのだが

まっとうな考えの警察官と暴力団に近すぎる警察官とが「犬猿の仲」だったとか「確執があった」とかはそうかもかもしれないが、やはり告発する側の警察官にそれ相当の根拠と理由がありだいたいが実際に告発した情報どうりの事件であったのだ。

稲葉氏側はSがらみの事件のすべてに自分が関わっているとされているのは、事実と違うと言っているのだが、本当のところは不明である。

どちらかの側に感情移入して同情的になれば真実を見誤ってしまうかもしれない。

いまだにこういう食い違いが出ている事自体この事件の闇のすべてが解明されていない証拠でもある。

 

曽我部氏は「稲葉氏」を道警幹部たちに利用された組織の論理の犠牲者の面を強調している。

元銃器対策課のあるOBは違う立場である。あんたは稲葉が組織の犠牲者のように書いていたけど、俺は違うと思う。自ら進んでやったことなんだから、しかも、シャブ売ってまでチャカ出そうとして、結局、暴力団と同じ感覚になってしまった。そんな警察官はいっぱいいるよ。暴力団に内通しているのとか、親密な付き合いをしているのとかな。暴力団と付き合いがいい警察官には真っ当な事件なんか任せられないんだ。でも、稲葉には任せてしまった。任せた上司に責任があることは明白なんだけど、そいつらに責任が及ぶことも組織の恥として押さえ込んでしまう。

警察組織では表沙汰になったことだけを問題として扱ってるんだよ。表沙汰にならないことはいっぱいあるんだ。

私も稲葉氏を庇いすぎのような気がしていたのでやはりこういう考え方もあるのだなと思ってしまった。

 

 

服役前に大御所原田氏も稲葉氏を激励している。服役して罪を償うのだから出所したら堂々と胸を張って生きろと。道警が幹部たちの犯罪をいまだに認めず自浄作用のない組織であり、関わった幹部たちがのうのうと定年を全うしたり、現役でご活躍しているのに比べれば稲葉氏のほうがまだましである。稲葉氏を利用して出世していった幹部たちは大悪党である。しかし警察権力の威光を盾に結果的に多くの嘘で世間を騙し続けた稲葉氏も当時は悪人であったことにかわりはない。

国家権力により胸が張り裂ける無念の思いで死んでいった者、これから死んでいく者もたくさんいるはずだ。稲葉氏だけが特別に辛酸をなめているわけではない。

 

稲葉氏個人は9年間の服役により罪を償ったので、この先とやかく言われる筋合いはないだろう。小さくなって下を向いて生きる必要もないし堂々と生きたらいいだろう。胸を張ってはどうなのかわからないが。

これからは警察権力側の「反面教師」として元道警幹部たちを糾弾しながら「警察改革」を提唱した活動をするかもしれないが、不祥事続きの刑事警察組織の単なる「ガス抜き装置」として利用され腐った巨悪な組織犯罪をますます見えずらくしなければいいが。

 

事件発覚当初の状況と道警側の思惑により「稲葉事件」と個人の名前がついてしまったが主導的役割を果たしていたのは道警の幹部たちで組織犯罪の内容からみても「北海道警察本部事件」となるべきなのかもしれない。

本人やまわりの思惑とは違い、この事件は警察機関による史上最悪の組織犯罪として後世まで語り継がれるはずである。

 

 

2012/07/13

15. ( 羊の群れ )

15. ( 羊の群れ )

この国の人々は食品偽装や放射能漏れ問題のように目に見えない表面化しないとわからないことに対しては、予想したり想像したりしない。そのため、常日頃から物事ので何が行われているかに鈍感で「疑う」ことをほとんどしない。

福島原発で3基が既にメルトダウンの状態で大量の放射能漏れがおきていても、テレビに出まくっていた専門家達の歯切れの悪い解説の嘘を見抜けず、疑うことさえしない。政府と東電と原子力専門家とメディアがグルになって情報操作をしているのに国民は怒らず、パニックを防ぐためだったという何ヶ月も経ってからの言い訳にも怒る人は少ない。

あれだけのことがあったのに、偶然あの程度で済んだのに、仮に一時的でも経済活動を理由にまだ原発を続けるというのだから目が点である。人智の限界を無視した「バベルの塔」にまだ懲りない傲慢な人間に対して今度はどこで何が起こるのか。

これを阻止できない我々自身に責任があり、結果的に思い上がった日本人へのやはり「天罰」であったのだ。想定外などとたわけたことを言う人間と黙認してきた我々に対する「警告」でもある。

健康寿命がわずか70の思い上がった人間が「数万年」単位の危険物質をコントロールしようというのだから、何世代も後のことかもしれないが「核」に限らずこの先さらにとてつもない「想定外」が必ず起こるはずである。

日本人にどの程度の豊かさが必要なのかわからないが「放射能汚染の恐怖」なしに以前よりは非常に不便ではあっても、十分すぎるほど幸福に生活できるはずである。「大津波」だって実はそうなのだが原発事故に関しても思い上がった傲慢な人間への「天罰」以外言葉が見つからない。東北の人たちが天罰を受けたという意味ではなく、「人間」が天罰を受けたのだと私は思う。

この国の人々は権力や権威にたいしては疑うことなく受け入れ、丸めこまれているのを感じていても黙ってしまい、「ものいうことなく」受け容れてしまう。

未曾有の大津波で壊滅的な被害を受けても「人々は秩序をまもり冷静に行動した」として海外のメディアから「日本人の美徳」を賞賛されて皆さん満足げである。

一方で福島原発事故当時の損傷の程度や、放射能漏れの実態についての日本政府の対応をめぐって欧州のあるメディアは「この国は嘘を言う国だ。」と断じ報じている。

日常的に協力者たちのを体験してきた私にとっては偽善のような美徳など「くそくらえ!」である。私のまわりで行われている組織的なストーカーは「偶然を装った嘘そのもの」であるからだ。

外国のように略奪や意味のない暴動を起こすのは論外である。しかし私が思うに大多数の日本人は怒りをあらわにして権力に立ち向かうことはしない。怒って言うべきときに「ものいわず」に、従順な羊の群れたちは結局飼い主に言われたとうりの道を歩いて「屠殺場」へと向かうのである。

14. ( 変死? )

14. ( 変死? )

 

死の前日6通の手紙を彼の妻以外の関係者に宛ててを出しているのだが、遺書のようなものではなく迫りくる「恐怖」を語っている。

私は「実行する」側の「自殺に見せかける」タイミングとしてはこの手紙を出した直後が最適と考えているのだが、「自殺」もまた同様に根拠があると考えられる。

いずれにしても著者はこう書いている。

渡辺が書いた手紙を読めば、彼が発端を作った稲葉警部による事件の全貌の裏に、より大きく厄介な組織が関与していたことに容易に気づく。事件は私が取材しながら想像していた規模よりもはるかに大きなスケールだった。稲葉と犯罪集団が道警幹部たちから庇護されていた背景には道警だけではなく、他府県の警察本部や警察までが関わっていた可能性を拭い切れない。

  

道警本部が単独で稲葉の不正を容認していただけにとどまらず、全国的に稲葉や稲葉と同じような役割を担っていた者たちが複数いたのではないか、また彼らは国家的に仕組まれた不正を遂行するために、拳銃や覚醒剤の密輸入をしていたのではないのか、という恐ろしい想像が湧く。

道警だけでなく警察が隠蔽したかったのが何かが稲葉事件の本当の問題の核心の様な気がする。稲葉事件で表面化した稲葉や道警の幹部たちが直接、間接に主導し関与した捏造事件、ヤラセ事件は知られているだけでも少なくとも5件はあるのだが、ほとんどの一件一件の事件が全国紙に載るような内容の濃い悪質な事件ばかりである。このことだけでも警察の重大な組織犯罪なのだが、当時バレずに表面化していない事件もあるはずで、どこのマスコミも嗅ぎつけていない悪事をわざわざ明らかにするバカはいない。

「学校のいじめ」さえバレなければ学校側と市教委で相談して隠蔽してしまう。公的機関での保身のための隠蔽は特に珍しいことではない。

北海道警察に限定の稲葉事件がまだ序の口の可能性すらあると私は思っている。

稲葉と警察庁で思い起こされるのが「50事件」であるが、700丁以上の行方のわからない拳銃は結局どうなったのだろうか。

道警の場合は稲葉が目立ちすぎ、そのうえにSである渡辺のいわば内部告発という有り得ない事態により発覚しただけで、組織的な不正がもし行われるとしたら全国の他府県ではもっと冷静に絶対にばれないよう注意深く静かに行っていたはずである。

稲葉事件の悪質さに比べればまだましな裏金問題であっても全国の警察で行っていたように、警察組織の運営の仕組みは同じなので規模や内容はちがっても何処の警察でも不正の温床は道警と同じのはずである。

内部的な隠蔽処理が遅れさらに偶然が重なって「稲葉事件」が発覚したにすぎず、道警ほど酷くないにしても、似たケースは他県でもあったはずである。

そうだとすればマスコミを巻き込んでの「稲葉個人」と「道警」までで事件を収束させようとした当時の一連の状況が納得でき説明も可能である。

なぜあの時期に「不正経理問題」が道警で最初に発覚したのか。なぜメディアやジャーナリストたちが「稲葉事件」を徹底的に追及しなかったのか。当時テレビ朝日でも稲葉事件をとりあげてはいるが徹底的な追及はしていないはずである。

著者のいう恐ろしい「想像」がぼんやりと輪郭があらわれた時点でメディアは恐ろしすぎて追及をやめるかもしれない。そんな現実を国民は知りたくもないだろうし、知る必要もない。

いわば社会のことで、別に真相を追究しなくとも社会の生活にはほとんど影響のないことである。私も確証があるわけではないが。

「稲葉事件」の最も重要な証人の死について

曽我部氏は渡辺が「逮捕の更なる脅し恐怖」で死に至った可能性を推測している。『非物理的に他殺された』あるいは渡辺が自分の意思に反して死を選択しなければならなかった、という意味において、それは自殺ではなく「変死」なのだ。と表現している。

私は直接的な他殺を疑っているのだが、しかし少なくとも死に至らせられたことは事実である。公安警察を含む警察組織全体の危機であり、国民の信頼を根底から覆す状況である。ある意味国家の危機でもある。国家の安定を損なう者は排除する必要がある。当時の「渡辺司」などは警察権力側にしてみればまぎれもなく危険人物」であったろう。表面化してしまったので合法的に解決できればベストであるがそうでない緊急の場合もあるかもしれない。

直接的に手をかけることなく死に至らせる究極の完全犯罪は「自ら死を選ばせること」なのであるが、国家権力の象徴ともいえる秘密警察が属する警察機関が組織として前代未聞のダメージをうける、工作を画策する猶予のない緊急事態の場合はどうするのだろうか。

政治にさえ巧妙に介入するこの工作機関が手をこまねいてだまって静観しているとはとても思えない。

公安警察は『国家を陰で牛耳っていると表現していた本があったが確かに的確な表現である。そしてこの点については正しいと思う。

最近では中国大使館1等書記官のスパイ疑惑について、ある週刊誌は「典型的な公安当局によるリーク報道」としたうえでこう書いている。

「不自然なのはスパイ活動の核心が判然としないまま、書記官と接触していた政権中枢政治家の名前が次々と漏れ、報道されていることだ」。公安により野田政権に対し揺さぶりが行われているようだ。

又、別の見方をしている青木氏は、「公安部から中国へ「何をやっているのかわかっているぞ」という警告のメッセージを送ると同時に、めったに注目されない公安の存在意義を示そうとした公安部の論理が働いている」と推測している。

                       「週刊誌を読む」20126

政権を揺さぶってる」とか「存在意義を示そうとしている」とかこの簡単な記事からも公安警察がどういう機関なのかが明らかである。公安警察とは工作機関でもあるのだ。

公安の場合の「リーク報道」とは情報操作の一種なのだと思うのだが

「政治への介入」、「公安部の論理」どちらも 正しい推察である。

公安の活動には裏の意図があると考えたほうが正しい。情報を巧妙に操るので裏を読み取るのは簡単ではないが。

特に政治的なことに関しては表向き警察機関の一組織にすぎない公安が裏でこんなことまででき、やっているのかと思う人がほとんどだろう。しかし私から見れば、この二つも「公安情報の漏洩事件」すらもみな表舞台の話である。

私の“想像”ではあるが本当の「ヤバイ話」の詳細が国民に広く知られる事態になれば「公安を解体しろ」とか「警察を一から再編成しろ」ということになるので、裏での巧妙で悪質な違法行為、犯罪行為、人権蹂躙活動などの実態が表面化して世の中に知られることはないのである。

現状の体制(情報非開示秘密警察)が公安にとってはもっとも都合よく何でもできる」ので現在の組織体制をぶち壊すような、尻尾を掴まれるような証拠を残したり(ビラ撒き事件のようなパフォーマンスもある。)、あるいは自分達の組織の消滅につながりかねない警察改革は絶対に行われないはずである。

ほとんどの公安ジャーナリストたちも公安の代弁者広報担当者になっているので、本気で公安批判をしたり公安警察のどこが問題なのか本気で検証し指摘することもない。

ましてや「公安警察の解散」などとんでもない話なのである。

公安の批判を本や映画で展開しているらしい一部の人たちも、本物の弾圧があった時代以降の公安と共産党の関係のようにもしかしたら公安のガス抜きの役割を担い、実は公安の組織存続に手を貸し協力しているのかもしれない。

そうでなければ公安警察や公安調査庁の改革解散がとっくに着手されているはずである。

もっともその前に公安の捜査活動?の実態の全面情報公開が先であるが。

ジャーナリストや評論家に限らずメディアやマスコミ、大企業はすべて、ほとんどの中小企業も皆「公安警察や公安調査庁の味方」なので現状でもこの先もまた公安による組織的なストーカー問題が解決に向けて進展することはなく、これとは別に公安の悪事も開示されることもほぼ不可能だろう。

道警の稲葉事件のケースでは二人の人間が「死に至る」ように仕向けられ、渡辺の変死については不審な点が多い。

「殺人の究極の完全犯罪の方法は対象者を巧妙に自殺に追い込むことである。」

渡辺の死がこれにあてはまるのかどうか、あるいは単純に大胆に他殺」なのか?想像の域を出ない。

捜査協力者である渡辺のいわば内部告発により始まった史上最悪の警察犯罪であり公の場での「証言」を最も恐れていたのは「道警」であり「警察庁」であり「公安部」にも大きな影響があったはずである。

稲葉が捏造事件やヤラセ捜査の道警の組織的な関与を語り出したのは翌年213日の第3回公判からで、実に渡辺の変死後6カ月も後のことである。

渡辺が拘置所の独房で恐怖の日々を過ごしていた時に、道警や警察庁も又911(死後11月に延期された)の第一回公判まで戦々恐々の日々を過ごすはずであった。

渡辺の存在により、警察組織全体に間違いなく前代未聞の悪影響を及ぼす証言になることだけはたしかであった。

当時のこのような逼迫した状況のなかで、警察組織に自爆テロを企てた渡辺司という「悪党」でもあるこの危険人物を公安部はどのように見ていたのだろうか。

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »